フィンランド旅行記_no.4

こんにちは。べったべた(@be_ta_be_ta_)です。

言い訳がましいですが、最近全く投稿ができていません。

やはり、仕事との両立は難しいのか、、、

でも、You tubeを投稿している友人に

100投稿は目指せと言われているので、どんなに時間がかかろうとも、

100は目指したいです!!

なので、ツイッターのほうでは、あと96投稿!みたいなつぶやきをしようかな。

まずは、サイトにツイッターのリンクを貼る方法を調べなきゃ笑笑

時間かかるぅ〜。けど、これもまた楽しい。

調べる時間 better than 記事作成時間

調べる時間だけで満足しがち、、、(ーbー)

1. 観光ルート

KARTTA(地図)

 

特に下調べをすることなく来たので、地図上でメインルートと記された青い道を今回は辿ることにした。なんとなく、島内にある店舗が閉まり気味だなと思っていたが、今この地図を見直すと、青丸の場所が通年空いているが、白丸の場所は夏季のみオープンだということが判明。おもちゃ博物館とか行きたかったな、、、

「ムーミン谷の夏まつり」に登場する劇場をモチーフにした模型とかが展示されていた模様。いぎだがっだぁ〜〜(。b。)

 

オフィシャルな島の解説としては6つの島々が結ばれているなどと書いてあるが、どこのことを言っているのだろうか。マップの感じだと4島ですが、、、また、グーグル先生に頼っても周りにそれらしき島は見つからず、、他のブログの人も6島と言ったり4島と言ったり。真相はいかに。

まだ雪が少し残っている。この雪が後々大惨事をもたらすこととは。

2. スオメンリンナ教会

なぜか先っちょしか写してない。すみません。
まさかブログを書くとは思ってもいませんで、、

先っちょしか写ってない写真にも関わらず、尖塔の末端が見えない使えない写真ではございますが、イメージしてください。末端には、灯台があります。現役で、空路や海路用に光を灯しているそうです。ぜひ、行った際はそこをパシャりして送ってください。

パンフレットなどには

1854年にロシアの伝統的なギャリソン教会として建設されました。

出典:suomenlinnaの政府機関 発行 パンフレット

などと書いてあるが、ギャリソン教会とは!!ちょっと聞き馴染みないですね。

また、ロシアの伝統的な教会と言うと玉ねぎクーポラを想像しますよね。

カタカタカタッ

たぶん、わかりました。推測が入りますが、ヴォズネセーニエ教会が建築様式的に似ているなと思い調べてみました。写真は載せられませんが、かなり似ています(縦に細長い開口部など)。

当時のロシア教会は、要塞や見張り塔などの石造要素と、雪の多い地方ならではの木造要素のハイブリットからなっていたらしい。この様式は16世紀から続き後の教会建築に多大な影響を与えたそうで、厳しい環境が似たこの地にも採用されたのでしょう。(文字ベースだと伝わりづらいことも多いかと思い、かなり端折りました)

3. (箸休め)がんもどき君と冷戦

僕たち三人は仲が良い分、喧嘩をします。

特に海外旅行となると長めの喧嘩をしてしまいます。

今回の喧嘩はべったべたVSがんもどき君です。

事の発端は、スオメンリンナ島に積もっていた雪。もはや溶けて凍るを繰り返していたので、氷です。

その氷の上で滑ったがんもどき君。はしゃいでいます。

だいたんに転びました。

 

さて、ここからがんもどき君の狂気スイッチが入ります。なんと雪合戦が始まりました。

やられたらやり返す。そんな精神を持っていますから、こちらもただじゃ済ませまいぞと、投げ返します。ここまではいいのですが、次にがんもどき君が投げた球がカメラを直撃しました。はい。終了。嘘か誠かこの打撃を受けたカメラの内部には、今もなお取り除けない黒点が残ったとさ。

もちろん、ぼくも悪いですが、当時の極寒の中、冷静な判断ができず、突然プツリと彼を無視する戦法をとりました。当然、彼も同じ戦法をとります。改めて、文字に起こして振り返っても、なんて情けない。

というわけで、しばらくがんもどき君(かゆかゆ君はあっち軍)とは距離をおいての散策になります。意地と意地の張り合い。どこまで続くのでしょうか。

といったところで、また次回にしましょう。

では。

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